科長神社と竹内街道今日で近つ飛鳥の紹介は三日目になりました。大和の「遠つ飛鳥」に対して河内の「近つ飛鳥」はあまり有名ではないかも知れません。 しかし、実際に足を運んでみると見るべきところがいっぱいあってとても一日で見切れないほどの歴史の宝庫です。 有名過ぎない分、観光地化されていずに、当時の空気がそのまま残っているようなところもいっぱいあります。 今日の紹介は科長神社(シナガジンジャ)と竹之街道にしようと思います。 科長神社は元は二上山山麓にあり、二上権現とされていました。 科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。 妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。 妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。 この丘からは推古天皇、用明天皇(推古天皇の弟で聖徳太子の父)、敏達天皇(推古天皇の夫)、孝徳天皇(聖徳太子の母の弟)や叡福寺(聖徳太子のお墓)などの王陵が一望できます。 そして、その王陵の北東部に竹内街道が走っています。 竹内街道は、飛鳥時代に推古天皇によって作られた、難波と飛鳥京を結ぶ日本最古の官道と言われています。 竹内街道は大陸文化を伝え、シルクロードの終点として歴史を見つめつづけてきたということも出来ます。 竹内街道の標高の一番高いところが二上山の入り口です。 二上山は雄岳と雌岳からなる山です。 頂上には大津皇子の御陵があります。 二上山については以前のブログで書いたことがあります。 興味のある人は見てくださいね。 近つ飛鳥は他にも素敵なところがいっぱいあります。 また、時々行きたいしこのブログでも紹介してみたいと思います。 では、今日はこの辺で。 |